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1974年3月15日金曜日

QUEEN: "Queen Ⅱ"(EMI)

NME

QUEEN: "Queen Ⅱ"(EMI)

アルバム評

2021年10月17日日曜日 5:52:31 UTC

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バンドがその潜在能力を発揮するには、少なくとも3枚以上のアルバムが必要であることを理解している。クイーンはレコーディングの成功を得るためにかなり急いで手を抜いているようで『Queen II』は今現在の彼らの身の丈をごまかして伝えているようだ。

基本的にこのアルバムは不快で、率直に言って癪に障る。

『Procession』と『Father To Son』では期待を持たせてはじまるが、クイーンの自己陶酔したオーラ、鼻血が止まらないようなギター奏法、ファルセットのコーラス、鬱屈としたコードなどは、明らかにWhoのヘビーなエナジーロックを感じさせる。

『Son』から『White Queen』のアコースティック・ギターのイントロがクロスインする、平凡な演奏の背後に滑り込んでくる壮大な感覚は、表面的に深遠なものに過ぎない。

私に言わせれば、このアルバムにはこういったアレンジを必要とするような重要なものはない。

クイーンは明らかに自らの能力があるよう、皆を騙そうとしている。

彼らを擁護するとすれば 、彼らのアレンジはたまに素晴らしく、確かに緻密だ。そしてブライアン・メイの作曲、『Father To Son』『White Queen』『Some Day One Day』は メロディの質が高く、魅力的だ。

しかし『The Loser In The End』はヘビーなロックで、メイとフレディ・マーキュリーの凡庸なヴォーカル・スタイルでこのアルバムを失墜させる。そして、マーキュリーが作曲した2面の6曲のアレンジは、電子的な壮大さからよりシンプルなものへと変化していく、まるでバンド全体が巨大なエゴに陥っていることへの謝罪ともとれる。

繰り返されるハーモニーは明らかに慎重に採譜されているが、それにしても雰囲気の変化が速く、マーキュリーの音楽は、無理なペースで疾走しているように思われれる。『The Fairy Feller's Master-Stroke』『Nevermore』『Seven Seas Of Rhye』のような優れた曲の断片は、その後の楽器の混乱で歪んでしまう。彼らの評判に真実味を持たせるためには、 クイーンはこのくだらないエルフ賛美のオーラを断ち切って、まともなアルバムを作らなければならない。

トニー・スチュワート

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