1978年12月11日月曜日
The Queens of the Ball
Circus

記事(発言含む)
2021年11月3日水曜日 5:17:19 UTC
In praise of ‘JAZZ’ The boys conjure up a bizarre junket
by Mark Mehler
『JAZZ』を祝し、ボーイズは奇々怪界な宴席を設ける
「バックステージで休んでくる。しゃぶってもらおうかな。ばーか、今夜はハロウィンだろ?」
ーフレディ・マーキュリー、ニューオリンズにて
ニューオーリンズの伝説的なフレンチ・クォーターの中心にあるバーボン・ストリートには、こう書かれている。『ボブ・ハリントン ー バーボン・ストリートの聖職者』。上の階では、フリーランスの牧師が通りの向こう側にいる間、下の階の邪悪な手先を管理しる。通りの向こう側には、夜明けから夕暮れまで裸の女がオーク材のバーを練り歩くラウンジ"Hotsy Totsy"があり、その隣には、お下劣なポスターやジョイスティックを専門に扱うXレイテッド・ショップがある。
ここはフレディ・マーキュリーのお気に入りのアメリカの都市で、ミシシッピ川の雄大な流れが終わり、大きな夢を持つ熱狂的な人々が、ポン引きや売春婦、その他すべてのいかがわしいものを提供する人々と仁義なき戦いを繰り広げる場所だ。フレディ・マーキュリーのお気に入りの街でもある。なぜなら、クイーンのリードシンガーであり、出っ歯のフロントマンである彼は、何よりの役者なのだ。ニューオーリンズでは、誰もがなりたい自分になれる。1978年10月31日、ハロウィーンの今宵、フレディ・マーキュリーとクイーンは、アメリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、日本から80人のレポーターを招いて、ショーを見せ、同時にショーの一部になることを約束した。
クイーンの全米28都市ツアーの3回目のコンサートは、豪華なシビック・オーディトリアムで行われた。ステージの上には偉人たちの名前が並んでいる。シェークスピア、ミケランジェロ、チェリーニ、デューラー、グノー。青や緑の柔らかな照明とスモークの中で、フレディ・マーキュリーは雄鶏のように闊歩し、ロックンロールのシャープなエッジが煌めくギターの音が響く中、バレエ的なポーズをとる。メロディは凡庸だが『Bohemian Rhapsody』と『We Will Rock You』の絶え間ないテンポの変化により、観客は約2時間にわたり途切れることなく音楽を楽しんだ。
照明ショーは、ロック界で最も野心的なものの1つだ。不気味な紫色のライトが観客の頭上に照射され、観客の髪を、雲か無生物のように見せる。
ショーの中盤で、小さな舞台が天井から下げられ、400個のランプが真っ白な光のカーテンを作る。フレディは、ステージの隅々までをも支配する祈祷師のような存在だ。「この曲をSpread Your Legs(開脚して)っていう人もいるけど」と観客に話しかけ「Spread Your Wings(翼を広げて)だ、こっちのほうがいい。」と曲紹介をした。
黒のシークインでスタートした彼は、アンコール1回目ではオレンジのホットパンツをはいて、ピーターパンのように踊りまくる。2回目のアンコールでは、露出度の高い白いボディストッキングを着用。『We Are The Champions』を歌うとき、彼の声はあざやかな感情にゆらぎ、彼はサポートに回るためマイクを握る。得意満面の大団円を迎えると、ショーの間はずっと座って笑みを浮かべていたエレクトラ・レコードのトップが一斉に立ち上がり、外に出た。ほどなくショーは『God Save The Queen』のテープで締めくくられる。身も心も燃やし尽くしたフレディは、力尽きて輝きを失ったようにステージからおりた。しかし、ニューオーリンズのハロウィーンの夜は始まったばかりなのだ。
フェアモントホテルの宴会場に戻ると、400人以上の人々がクイーンを待ち、オイスターロックフェラーやシュリンプクレオールなどの豪華なオードブルのテーブルに集まった。ディキシーランド・バンドがセンスのないジャズ・ジングルを演奏するなか、オリンピア・ブラスバンドが真夜中の少し手前で、マキュリアル・マーキュリー、愛くるしいブライアン・メイ、いたずらなジョン・ディーコン、艶やかなロジャー・テイラーといったクイーンの面子を従えてホールに行進してくる。そして突然、狂った団長が指揮した巨大なサーカスのように、ストリッパー、下品なファットボトムダンサー、蛇使い、ドラァグクイーン、異様なまでに酩酊した輩が、集められた聴衆の前でアピール合戦をはる。
フレディ・マーキュリーは、飢えたサイン亡者や、グルーピー、名声崇拝者に囲まれる。想像力豊かなカメラマンは破廉恥女のあらわになった背中にサインをするフレディを撮影する。フレディは神経質に出っ歯をしまいこみ、夜中の2時に姿を消した。今宵のカーニバルの真の主催者であるかのようなブライアン・メイは、日本人のしつこい記者に追い詰められ「素晴らしい、戻って来れて嬉しいよ。」と繰り返す。
宵には、女っぽい男と男っぽい女が、ヘミングウェイも赤面するような遊戯を興じる。紐パンをはいた太った黒人女性3人衆がみっともなく腰を振り、別の女性参加者はありえない場所にタバコをあてがい、やかましいひと囲みの見物人を楽しませている。
バーボンストリートの様子を見に行った人々が、葉巻の煙のようにパーティーに舞い戻る。午前4時、クイーン側の警備員が、疲れていてイライラした様子で、いつ終わるのかを尋ねた。「クイーンは裸のディスコダンサー達に夜明けを迎えるよう望む」と陣営に伝え、そして、その通りとなった。
翌日、フレンチ・クォーターで最もエレガントなレストランのひとつであるブレナンズで行われた記者会見にクイーンが再び登場した。ここでもロジャー・テイラーとブライアン・メイが話題を独占し、フレディ・マーキュリーは何となく上の空だ。
話題は、ジャズが一切収録されていないクイーンのニューアルバム『JAZZ』だ。ロジャー・テイラーは「僕たちは皆に思われているよりもずっと真面目にやっていると思うよ。」と語る。『JAZZ』ではクイーンは元プロデューサーのロイ・トーマス・ベイカーと再会した。アップテンポなヘブライ語のロックである『Mustapha』。『Fat Bottomed Girls』は、ピュア・プレイリー・リーグの『Amie』に多くの影響を受けた曲であり、甘美なラプソディーの『Jealousy』や、スターウォーズ、ジョーズ、スーパーマンなどを題材にした『Bicycle Race』などが収録されている。
この広告キャンペーンは、バンドに関するすべてのことと同様に"美味しさ"の限界値にある。11人の素っ裸のメジャーリーグ級のいい女たちが自転車でレースをしているのだ。「なめくさってるだろ。」とフレディはいい「きわどいけど、卑猥じゃない。ある店じゃ、僕たちのポスターを貼らないって。女のヌードを見るのが好きじゃない人もいるんだろうね。」
32歳のフレディは、ザンジバルで生まれ、インドで教育を受け、幼少期には卓球やホッケーの天才として活躍した。グレード4でピアノのレッスンを断念した彼は、美術を学び、グラフィックデザイナーやイラストレーターになる。しかし、彼は歌い続け、14歳で最初のバンドで前に立ち、1970年にロジャーとブライアンと共にクイーンを結成した。
お決まりの簡単なやりとりの後、マーキュリーは前へと出される。「あなたはステージ上のキャラクターから離れているように見えます。あれは本当にあなたなのですか?」。「いや」フレディは言う。「もちろん、あれは演じているよ。」誰に対しても、彼は同性愛への肩入れについて否定している。彼は自身を静かだけど落ち着きのない男だといい、表へ出るために自らを鼓舞しているという。「いろんなコスチュームを着ることを楽しんでいるよ。」と彼は言う。 「あそこでは本当に解き放たれるんだ。」
フレディはすぐに切り上げ、ブライアン・メイはまたしても日本人の終わりなき質問に答えるために残された。クイーンのために、丹念に演出された2日間の大名旅行は、数人のはぐれたジャーナリストが焼きバナナをほおばり、いつもよりも多めの皮肉を吐いて終わった。