Rock on Freddie!
ここまで、このサイトでは、時系列に沿って記事の訳などを載せていましたが、今回は少し飛んで1985年4月14日号『Sunday magazine』をとりあげます。
『Mr. Bad Guy』発売にあたり、音楽誌ではなく、一般誌のインタビューにフレディがこたえています。この時期はアルバムのプロモーションとしてMusic LifeやRecord Mirrorでも結構饒舌に語っているのだけれども、このインタビューは別格。本当に本人が話しているの?と、疑いたくなるほど深いことを語ってます。
ほぼ全文が『A Life, In His Own Words』で拾われてはいるけれど、訳してみました。原文10000字超のロングインタビューです。
原文、文字起こしは、インタビュワーご本人であるSharon Feinstein様のサイトを参照させていただきました。
大勢の熱狂的なファンが今週、彼の初のソロアルバムを買いに群がるだろう中、フレディ・マーキュリーは、成功と億万長者でもけして買えないものを語る...Sharon Feinstein レポート
ースーパーバンド「クイーン」の とんでもないフロントマン、フレディ・マーキュリーは、驚異的な成功の渦中にあるが、その名声と富は深い苦しみの元凶でもあった。
フレディは突飛なステージイメージを作ることを愛し、その音楽で、歓声と鼓動をさらっていく。しかし照明が落ちショーが終わると、喪失と孤独に苛まれた。
「全ての手中に収めても、最も孤独な男なんだ、苦々しい孤独だ。」とフレディは言う。
「成功は僕に崇拝と数百万ポンドをもたらしたけれど、誰にでも必要な、ただ1つのものを持つ事ができない ー 愛ある関係をね。」
「ハリウッドの昔話のように、名女優たちがキャリアを優先し恋愛を続けられなかったのと同じなんだ。僕もそう。走るのを止めて色恋沙汰に浸ってはいられない、しばらくはね。あらゆるビジネス上の問題が山積してしまう。車輪は回り続けなきゃいけないし、そうなると誰かと幸せに暮らすのは難しくなってくる。」
「僕は仕事に追われている、体が許す限り、気が狂うまで続けるよ。僕の中には『フレディ、減速しろ、燃え尽きるぞ』と言う声が聞こえるけれど、止められないんだ。」
「成功を楽しむことなんてできない。13年後のある朝起きて、こう言うんだ『やだな、今日はスーパースターでいたくない。1人で街に出て、誰かを愛したい。』でも無理なんだ、こんなだから。」
ー『こんな』とは今までで一番成功したであろうロックバンドの快活なリードシンガーのことだ。クイーンはこの13年間、他にはない方法で世界を揺るがした。ビートルズではない。
現在、フレディとブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの3人は、それぞれ年収100万ポンド以上を稼いでおり、もうレコードを作る必要も、ツアーをする必要もない。しかし、彼らはやめるつもりはない。昨年、クイーンはヨーロッパツアーを行い『Thank God It's Christmas』で更なるヒットを飛ばす。フレディは初のソロシングル『Love Kills』をリリースし、トップ10入りを果たし、ニューシングルと初のソロアルバムの制作に取り掛かった。今年初め、ブラジルのリオで開催されたロック・フェスティバルでは、彼とバンドは25万人のファンを魅了した。
「恐ろしく、気の遠くなるようなことだったよ、そこにいる全員を手のひらにのせるのは。」とフレディは言う。
「でも、僕を愛する大勢の人々に囲まれていたにもかかわらず、コインの裏側で 僕は最も孤独な人間だったに違いない。すべてを手に入れて、まだ絶望的な孤独を感じているとき、それがどれほど恐ろしいことか想像できる?言葉では言い表せないほどの恐怖だ。」
「可哀想な老ぼれフレディなんて思われたくない、僕はそれに対処できるから。僕はステージで、強大なモンスターを作ってしまったようだ。演じている時は外向的だけど、本性はまるで別人なんだ。」
「もちろん、飛び回って、威圧的に振る舞うのが好きでもあるけれど、皆はそれ以上のものが(僕に)あることに気付かない。私生活でも同じだと思われるんだ。彼らは『フレディ、演じてよ、楽しませて』と言う。」
ーハンサムな黒髪のシンガーは、波打つ筋肉と絶えず変化する容姿に誇りを持っている、かつて彼はハリウッドスターよりも多くの恋人がいると冗談を言ったことさえある。
「でも長続きはしない。」
ー38歳のフレディは言う。
「僕は人々を食べ尽くして壊してしまうようだ。僕の中には破壊的な要素があるんだろう。懸命に関係を築こうとするのに、なぜか人を遠ざけてしまう。」
「恋愛関係の終わりは いつだって僕のせいにされる、僕が成功者だから。僕と一緒にいる人は僕に合わせようと奮闘する、それで罪悪感を感じて取り繕うと 結局、僕は踏みつけられる。」
「僕に勝ち目はないよ。恋愛はロシアンルーレットだ。 誰も本当の僕を愛してくれない、みな僕の名声やスターダムに恋をしているだけなんだ。」
「僕は恋に落ちるのが早すぎて いつも痛い目に遭う。傷だらけだ。根がヤワだからしょうがない。僕は頑丈でマッチョな殻をステージで晒しているけど、中はバターのようにヤワなんだ。」
「惚れ症をどうにかしたいんだけど、愛は制御できない。空騒ぎだよ。ゆきずりの関係は僕にとっては演出なんだ。本当は猛烈に愛したいし、恋人はこってり甘やかす。素敵なプレゼントを贈って喜ばせるのが大好きなんだ。」
ーフレディは自らがバイセクシャルであることを認めているが、こうも言う。
「女の子みたいに、男を愛すことはできない。」
ー彼の人生で唯一の恋人であり、信頼を勝ち得ているのは、31歳のメアリー・オースティン、物静かな金髪の女性だ。フレディとメアリーは7年のロマンスを過ごした。
「僕たちの関係は涙で終わったけれど、そこから深い絆が生まれた。それは誰にも奪うことができないし、手の届くものではないんだ。」と彼は言う。
「恋人たちは皆、彼女にとって替われないものかと聞いてくるんだけど、まるで無理な話なんだ。」
「僕は彼女の恋人に嫉妬したりしない、だって彼女には彼女の人生があって、それは僕も同じ。基本的に僕は彼女が誰と一緒にいても大丈夫だし、それは彼女も同じだと思っている。」
「気遣い合えるのは、素晴らしい愛の形だよ。悩みは尽きないけれど、メアリーがいれば乗り越えられる。」
ーフレディは信頼の証として、メアリーに数百万ポンドを遺すと決めている。
「誰に遺産を託すのがふさわしいと思う?」と彼は微笑む。
「勿論、両親と猫たちは想定しているけれど、あらかたはメアリーだ。」
「明日死んだとして、僕の莫大な富を扱えるのはメアリーしかいない。彼女は僕の元で働いていて、僕の金銭や資産を管理している。運転手、お手伝い、庭師、会計士、弁護士の管理もしている。僕がやることといったら、ステージに屍を晒すくらいだ。」
ーフレディは世界で有数のリッチなロックスターだが、懐には一銭も持たず、彼自身どれだけもっているのかすら把握していない。
「お金がたくさんあるのはいいよ。」と彼は認める。
「でも勘定したりはしない。必要以上に持ってるから、好きな人に沢山あげちゃうんだ。」
「僕は楽しくやっているし、お金がなくても楽しむ事を諦めないよ。若い頃はほとんど何も持ってなかったけれど、2週間貯めて、それを1日で吹っ飛ばして発散してた。」
ー確かにフレディは常にお金に自由だったわけではない。Freddie Bulsaraは1946年9月5日に生を受けた。父親は政府の会計士であり、幼少期をザンジバルとインドで過ごした。学校卒業後、ロンドンのイーリング・カレッジ・オブ・アートのグラフィック・コースに学ぶ。(彼がメンバー4人の星座を元にバンドのロゴをデザインした)メイ、テイラー、ディーコンと共に、1971年後半にクイーンは勃興した。
ーフレディの成功(と富)の最大の目に見える形は、ロンドンのケンジントンにある28部屋の豪邸だ。50万ポンド超を即金で支払ったのだ!
4年前にフレディがこの家を購入したとき、8部屋ある寝室のうち、3部屋を改修して1つにまとめ、自室にした。邸宅はハロッズから買った家具や、東京からの日本製の貴重な彫刻や絵画で埋め尽くされた。戸外では庭師の部隊が敷地内に離れをつくっている。
しかし城主はまだ越してきていない。フレディは初めてその理由を明かす。
「稼ぎの多い人は、みな実現したい夢があって、僕はこの素晴らしい家でそれを叶えた。」
「ハリウッド映画で豪華に装飾された家を見るたびに、欲しいと思っていて、ついに手に入れたんだ。でも僕にとっては、実際に暮らすことよりも、手に入れることの方が重要なんだ。だからもういいかな、なんというか、手に入ったら、それほど興味はなくなる。今だって、あの家は大好きだけど、本当に楽しいのは手に入れることなんだ。」
「たまに夜1人でいるときに考えるんだけど、50歳になったら、ひっそり逃げ込んできて、それから家にしていくよ。とにかく今は税金対策でイギリスには年間たった60日しかいられないからね。」
ーここ数ヶ月でフレディは初のソロアルバムである『Mr. Bad Guy』を仕上げていた、このアルバムは彼の亡き愛猫ジェリーに捧げられている。
今週リリースされるこのアルバムは、フレディのわくわくする新たな試みでいっぱいだ。
「このアルバムには心血を注いだ。」と彼は言う。
「クイーンの音楽よりもビート志向だけれど、胸打つバラードもあるよ。」
ー激務の合間に、ドイツ人女優との新たな友情も芽生えた。ー バーバラ・バレンティン42歳。
「バーバラとは、ここ6年のどの恋人よりも、強い関係にあるよ。」と言う。
「彼女には本音で話せるし、素でいられるんだ、珍しくね。」
ーフレディの親しい友人には、ロッド・スチュワート、エルトン・ジョン、マイケル・ジャクソンがいる。
「ロッドとエルトンと僕は3人で『ヘア・ノーズ・アンド・ティース』というバンドを組もうとしていたんだ。」と笑う。
「でも1人として単語の順番を譲らなくて実現できなかったんだ!当然『ティース・ノーズ・アンド・ヘア』がいい。」
「ロッドとエルトンが大好きだよ。2人は前の誕生日パーティーに来てくれて、ケーキが出るタイミングでハッピーバースデイを歌ってくれてたんだ。思わず叫んだよね『2人がギャラなしで歌ったのは、きっと初めてだぜ!』奴らは笑い転げてたよ。」
「スリラーが大成功してからマイケル・ジャクソンとは少し距離を置いてる。彼は単に自分の世界にこもってるんだ。」
「2年前までは、クラブに行ったりして楽しんでたのに、今の彼は砦から出てこない。悲しい事だよ。彼は誰かにしてやられるんじゃないかって疑心暗鬼になっている。」
「僕だって同じように心配になる事もあるけれど、そういう考えに囚われたくはない。」
ーフレディはもしクイーンのロックスターでなかったら、バレエダンサーになりたかったと語っている。彼はかつてクイーンのヒット曲でロイヤル・バレエに出演したことがあり、そのきらびやかなパーティーでアンドリュー王子に会っている。
「白いスカーフをしてワイングラスを持っている時に、アンドリュー王子を紹介されたんだ。僕は緊張しすぎてスカーフが飲み物に浸かっているのに気づかなかったんだ。」とフレディは回想する。
「平静を装っていたんだけど、だしぬけにプリンスが言ったんだ『フレディ、これ濡らしたくないよね』って。彼はスカーフを絞ってくれて、緊張が解けたんだ。」
「それで『感謝いたします。おかげで気が楽になりました。今なら、お下品な言葉も少し使えそうです。』って言って大笑いしたんだ。」
「彼は場に溶け込んでダンスまでしてた。彼はそういう状況で本当に粋だよね。」
「僕は王族を尊む猛烈な愛国者だ。」
キング•オブ•クイーンの意外な側面。 しかしフレディ・マーキュリーには誰も見たことがないような更なる面がある。トレードマークとなった度肝を抜く衣装やイメージの下に、別のフレディがいるのだ。彼はうまくまとめた…
「たまには普通になってみたいよ。」
Sharon Feinstein, Sunday Magazine (May 1985)
"Rock on, Freddie"
http://www.sharonfeinstein.com/rock-on-freddie/
このインタビューが行われたのは、文中から読み取るに、1985年4月上旬。4月13日からはオセアニアと日本でWorks Tourを周り、帰国。
フィービーさんの話によれば、ツアーを終えた6月頃にフレディはガーデンロッジに越したようだ。
インタビューの中で切に孤独を訴えたフレディ。
新居で孤独が癒えたと思いたい。