top of page

1981年 Latin America 逃避行

1981年2月、クイーンは日本武道館のみ5公演という不可解な来日を果たす。既に場数を踏んで安定した日本の地から、クイーンは助走をつけて新たなる地平、南米公演へ飛び立った。

1981年の4カ国、7都市、13公演の南米ツアーは、春と秋に分けて行われている。

前半のアルゼンチン・ブラジル
後半のベネズエラ・メキシコ


ライブ本体には触れず、可能な限りコンパクトに、びっくり珍道中をまとめてみました。

South America Bites The Dust Tour
■ アルゼンチン
 2月28日 ブエノスアイレス 
 3月1日 ブエノスアイレス 
 3月4日 マルデルプラタ 
 3月6日 ロサリオ 
 3月8日 ブエノスアイレス 
■ ブラジル
 3月20日 サンパウロ 
 3月21日 サンパウロ 

Gluttons For Punishment Tour
■ ベネズエラ
 9月25日 カラカス 
 9月26日 カラカス 
 9月27日 カラカス 
■ メキシコ
 10月9日  モンテレー 
 10月17日 プエブラ 
 10月18日 プエブラ 

アルゼンチン

軍事独裁政権下にあり、政府高官に出迎えられ当地に降り立つ。Velez Sarsfieldでは5万4000人を前に公演し、TV中継もされる。スタジアムからホテルまでは軍の護衛付きでの移動。アルゼンチンの英雄的サッカー選手マラドーナに紹介されたり、ヴィオラ大統領宅に招待される。ロジャーはこのヴィオラ大統領との謁見をパスしているが、後年のインタビューで「音楽を届けに行ったのであり、政治的に利用されたくなかった」と述べている。

ブラジル

ブラジル最大のマラカナスタジアムでの公演を目指し調整がなされていたが、国民的文化イベント相当ではないとして同会場での開催許可が降りず、モルンビスタジアムでの公演となった。この公演が確定したのは10日前であったがチケットは即完売。地元関係者は協力的で、ジョンの護衛は「212人殺しているから、立派に警護できる」と震え上がるような自己紹介をする。公演後、機材を没収される恐れがあったため、クルーは大急ぎで舞台をばらし、チャーター機に詰め込むと逃げるように飛び去った。この2カ国4都市7公演での延べ動員は47万9000人。もはや人の数の桁ではない。

 

d779989a9aaf5358b4d116e0da291874.png

ベネズエラ

Venezuela.jpg

ブラジル公演後、バンドは休暇もそこそこに、後にアルバム『Hot Space』としてまとまる楽曲の制作など意欲的に過ごし(ロジャーはソロ活動も)、再びラテン地に降り立つ。ベネズエラでは、当初5公演が予定されていたが、民主主義の父であるロムロ・ベタンクール元大統領が長患いの果て危篤に陥っていた。公演が3日目まで進んだ9月27日、フレディを除いたバンドは当地の歌番組"Guillermo Fantástico González Show"に出演するが、生放送中に大統領の訃報が伝えられる。スペイン語で捲し立てられたその一報は結局誤報であったが番組は大混乱。事情を知らない3人は唖然とするのみであったという。(映像は残されていない)残念ながら日付が変わった深夜、元大統領は息を引き取り、国中が喪に服した。バンドは大混乱の中ベネズエラを後にする。

メキシコ

Queen-drummer-Roger-Taylor-Freddy-Mercury-Brian-May-interview-Danny-Scott-532564-1.jpg

ラテン歴訪の大トリはメキシコだ。ここは私のおまとめなんかよりも、当地メキシコのメディアが2018年に伝えた記事を見ていただくのが何より早く理解が深まると思う。機械翻訳を頼りに"La Razón de México"の記事を抜粋して訳してみたのでご覧ください。

メキシコ.jpg

Aquí te decimos por qué fracasó la gira de Queen en México en 1981
 

記事内で言及のあった更衣室での不当な扱いというのは、どうやら鶏肉不使用のケンタッキーフライドチキン(鼠肉、猫肉)が提供されたらしい。モンテレーでの初日の後、4人はLAとダラスに一時退避。舞い戻ったプエブラ公演初日では靴や酒瓶が飛び交う手荒な歓迎を受ける。この日はステージは90分とハイドパークに次ぐ短いセットで終演となった。2日目は警察の目も行き届き、いくぶん落ち着いたものの、削がれたやる気が戻ることはなかっただろう。
 

D-IQnDpUEAA4MOO(1).jpg

余談だが、このメキシコ公演はブートレグ(海賊版)音源がいくつか出回っている。そのなかの1つのタイトルが『 NEVERMORE GOODBYE TACOS 』海賊版なので勿論クイーン側がつけたタイトルではないが、端的すぎて吹き出す。

rogermexico.jpg

最後に、上のメキシコメディアの記事内でロジャーの回想が出ていますが、こちらは1981年冬号のファンクラブマガジンから。4行の中に込められた大変な苦労を思うと笑え...いえ、頭が下がります。

 

メキシコ公演から1週間後、10月26日にシングル『Under Pressure』が発売。さらに1週後には、初のベストアルバム『Greatest Hits』もリリースされる。次にクイーンを待ち受けるのは?みんな大好きモントリオール公演です。

bottom of page