1979年 多忙の極みとLive Killers
1979年は、1月17日ハンブルグからのEUツアー。1ヶ月半で28公演をこなし、最終公演地パリから、その足でモントルーへ。初のLiveアルバム『Live Killers』の編集、ついでにスタジオをお買い上げ。フラッシュゴードンのオファーを受けつつ、4月から過去最大規模の8都市15公演のジャパンツアー。夏には素案も持たないままミュンヘンで『GAME』の前期録音を開始。8月17日ドイツの野外イベントに参加(ロジャーの髪が緑事件)、10月7日フレディはロイヤルバレエ団と共演。11月22日からはCrazy Tour、20公演を跳ね回る。
それぞれにプライべートも忙しく、この頃のフレディはNYにマンションも購入している。マック、フィービー、ベロニカなど重要な出会いも多かった模様。息つく暇もないほど目白押し、目の回るクイーンの1979年。
『Live KIllers』の発売の経緯について、公式回顧録から引用します。
アーティストと海賊版(ブートレグ)の攻防は、グレイトフル・デッドのライブ録音承認、売買の禁止など逆手にとった戦略。1978年エアロ・スミスがその名も『Live Bootleg』というライブアルバムのリリース。日本では布袋寅泰がライブのアンコール部分を公式で録音し会場で『OFFICIAL BOOTLEG』と称して売るなど、もろもろのウィットの効いた対応がみられる。
ブートレグはアーティストの承認を受けずに、勝手に販売された録音商品で、ここではライブ版のブートレグについて書く。ライブのブートはライブ会場で勝手に録音したものを、個人で楽しむのみならず、販売ルートに乗せたもの。当然、アーティスト側には1円の収益もなく、非公式録音の拡散で、公式発売音源の減収に繋がるなど、百害あって一利なし!とされていた。
が、ががが!!
今となっては歴史的資料。
クイーンにおいてはブートレグの解析から『Queen Live!』という網羅的ライブ活動録が編纂され、なんと公式が逆輸入状態でその本を参照していたりする。(ついでに著者のグレッグ氏は公式アーキヴィストとなる)何事も、コトが起こっている時には全貌は見えず、後になって価値が見出されたりする。ブート問題は本当に微妙ね。ただやっぱり、HMVでオリジナルの隣に堂々と並んでいたり、サブスクにしれっと投下されているのを見ると、もやもやはする。
大いに脱線したけれど、世の流れをうけて、作らざるを得なかったライブ版。
それが『Live KIllers』ということのようです。
初のライヴ盤『Live Killers』-Udiscovermusic
https://www.udiscovermusic.jp/stories/queen-became-live-killers