NO SynthesizerからON Synthesizerへ
1980年。ヒゲよりも大きな大転換は本格的なシンセサイザーの導入。
細かく言えばアルバム『A Night At The Opera』 の"You're My Best Friends"でジョンがウーリィツァの電子ピアノを弾いていたり(フレディは頑なに弾かなかった)アルバム『News Of The World』の"Get Down, Make Love"、『Jazz』の"Fun It"など効果音的な使用はあった。が!80年リリース『THE GAME』と『Flash Gordon』は楽器としてシンセが使われている。
ここまでのアルバムで各種の楽器や効果を積極的に取り入れてきたなかでシンセサイザーへの抵抗は一体何だったのであろうかと考えてみると
①ブライアンのギターへの揺るぎない誇り
②アコースティックへのこだわり
③当時の楽器としてのシンセのクオリティの低さ
この3つの要素かな。
また、この時期、プロデューサー、レイノルド・マックとの出会いと、映画『Flash Gordon』で思いっきり鳴らせたのが進化への鍵を握ったのかもしれない。
自分たちのスタイルも、自分たちでぶち壊して、進化するクイーン。少しも1つのところに落ち着きゃしないんだもん。リアルタイムのファンは、ジェットコースターのようなファンライフだっただろうなあ〜。
画像から同定できたシンセサイザーを少しだけ紹介します。
まずは1981年 2/12東京と2/28ブエノスアイレス ピアノに乗せてたのは『Oberheim OB-Xa』オーバーハイムはこの機種以外でもブライアンがOB-8を弾いています。
ラッティさんと映るこの写真は1981年3月20日サンパウロなのかな?楽器は『Roland Jupiter-8』 ローランドがとにかくよいシンセを!ということで総力を上げて開発したシンセサイザー。アルバムでは『Hot Space』『The Works』にも使われている模様。
製品開発ストーリー 特別編:ローランド 技術者インタビュー
85年ライブエイドのリハーサルのコレ 『YAMAHA CP-80D』 CPはいくつかモデルがあるみたいだけれど、80鍵の方かと。これはシンセサイザーではなくエレアコピアノ。弦も張ってあり、調律も必要。 降りたたみ式だけれどアクション搭載機種。持ち運びができて、タッチはしっかり、リハーサルに重宝したのかもね。(組み立てはすごく面倒くさそうだけど!)
最後!
『YAMAHA DX7』は80年代シンセサイザーの名機。 One Visionのメイキング、Magic Tourで見られる。
こうしてみると、日本の楽器たくさん使ってくれていたんだね。日本では1978年にYMO、1984年にTM NETWORKがデビュー、シンセポップが割と盛んだった。この頃の日本は経済も元気で、新商品開発もきっと盛んだったんだろうね。
聴き慣れたクイーンの名曲にヤマハのシンセサイザーとかロマンしかないです。調べてて最高に楽しかった!
楽器の取説サイトと、超詳しい海外ファンサイトのリンクを貼ります。すごく勉強させていただきました。どうもありがとうございます。
The World of Musical Instruments Brochures
http://brochures.yokochou.com/en_index.html
an introduction to Queen Organology